みらい通信・輝く女性インタビュー Vol.1 五味田恵理子さん(ピアニスト)

 五味田恵理子さんは、ドイツ留学を経て演奏家、指導者として活動するピアニストです。幼少期からひたむきにピアニストへの夢に向かうも、大学院時代には手指を骨折するという演奏者人生をおびやかすアクシデントに見舞われた五味田さん。絶望の淵から立ち直り、夢をかなえた五味田さんを支えたものは?… クラシック音楽のすそ野を広げるべく尽力する五味田さんに、ピアノとともに歩んだこれまでの人生、これからの夢などについてお話をうかがいました。

5歳でピアニスト宣言!

――ピアノとの出会いはいつ頃ですか?

 母が趣味でピアノを弾いていたので、家にアップライトピアノがありました。赤ちゃんの頃から、ほかのおもちゃよりピアノを気に入ってよく触っていたようです。おかしな弾き方をしてはいけないというので、近所のピアノ教室に通い始めたのが4歳のときです。ピアノの音が大好きで、始めた頃は今よりもずっと練習時間が多かったかもしれません(笑)。

――先生はどんな教え方をされる方でしたか?

 こういうふうに弾きなさいと言われたことは一度もありません。「上手ね」「すごい!」とほめて育ててくださいました。また、プロの演奏家たちのCDを聴かせ、「どう?」と問いかけてくださいました。聴く耳とピアノを好きな気持ちを育ててくださった、私の音楽の恩人の1人です。

――ピアニストを目指すようになったのはいつ頃ですか?

 幼稚園のときすでに、「将来何になりたい?」と聞かれると「ピアニスト」と答えていたようです。それからずっと、ピアニスト以外になりたいと思ったものがないんです。どうしてそう強く思えたのかはわからないのですけど、憧れのような気持ちはあったのかもしれません。母が好きなフランス人のピアニストの演奏を聴いて、こんな演奏ができたらなあ…というイメージを持っていましたし、きれいなドレスを着て皆さんの前で演奏することも想像していました。

――初志貫徹。意志の強いお子さんだったのですね。

 そんなこともないんですよ。同級生のお母さんたちからは、「恵理子ちゃん、目を開けたまま寝ていない?」と言われるくらいおっとりしたタイプ(笑)。音楽学校を受験してプロを目指そうと思うようになってからです、強さが出てきたのは。

――東京藝大附属音楽高校への進学を決めたのは?

 進学を見据えて準備を始めたのは中学に入る頃と遅く、高校受験には間に合わないということで、大学での受験を目指して、中学は落ち着いてレッスンができる環境を作りました。取り組んでみると想像以上にピアノに没頭しました、藝大付属高校に挑戦したところ合格することができました。藝大付属高校は、1学年全楽器合わせて約40人しか受け入れてない高校で、高校受験は人生で一番頑張ったときかなと思います。藝大附属には全 国から優秀な方が集まってきますから、高校時代は、「楽しいだけでは音楽の道を進んでいくことはできないんだ」という現実を知りました。

――それでもあきらめなかったのは?

 ピアニスト以外は考えられないという気持ちがとても強かったんです。友達ともっと遊びたいなとも思いましたが、がんばっている音楽仲間を見ると、努力して当然という意識を持つことができました。ピアニストになった自分を想像して、「がんばるときは今!」と自分を戒めました。負けず嫌いな面はあったかなと思います。

指の粉砕骨折を乗り越えて

――大学院時代に指の骨折を経験されたとか。

 大学関係の演奏会のリハーサルの日、不運のアクシデントに見舞われ、フルコンサートピアノの蓋が指に直撃。いったいなにが起こったの?!・・・ショックで悲鳴も出ませんでした。演奏会はもちろん棄権となり、「ピアノ人生はこれで終わった」と思いました。「残念ですが一番奥の繊細な骨が砕けています。復活するかどうかはフィフティー・フィフティーと思っておいてください」。先生の紹介で受診した音楽家専門の整形外科医にそう告げられました。

――さぞかしショックだったでしょう…。

 絶望の淵に立たされました。手術をすると弾けなくなるということでギプスをつけて3 か月、自然治癒を待ちました。それまで、「熱が出ても、ご飯を食べられるなら弾きなさい」と先生に言われてきましたから、3か月もピアノを弾かなかったのは人生で初めてです。だんだん細くなっていく指を見つめながら毎日泣いて過ごしました。

弱気になって大学を休学したいと申し出ると、「何を言っているの!」と、どの先生も一蹴。不器用な左手(私は右利きなので)を鍛えるチャンスとばかりに、左手のピアノの楽譜を渡されました。無心で練習し、左手での演奏で舞台にも出ました。

――先生たちは「転んでもただでは起きない」スピリットで困難を乗り越えてこられたプロなのですね。

 今思えば、泣いて落ち込んでいる私を引っ張り上げてくださったのだと思います。それまで知る由もなかったのですが、戦争を経験したヨーロッパ諸国には左手のピアノ曲がたくさんあるんです。とても難しかったのですが、左手に足りなかったコントロール力がついたように思います。そしてケガから3か月目、実はコンクールで復帰したんです。

――いきなり本番ですか⁉

 荒療治ですよね(笑)。本番では筋肉が落ちてしまって、自分の手ではないような感覚。指が思うように動かず、「動け~!」と心で叫んでいました。ともかく弾かないことには戻らないので、なるべくコンクールや演奏会に出るようにしました。すっかり元に戻るまで1年くらいはかかったと思います。

――その後ドイツへ留学されたんですね。ドイツへの思いはいつ頃から?

 高校生のときから海外に留学はしたくて、海外の先生のセミナーなどを受けていたんです。大学院を出るときにミヒャエル・シェーファー先生に出会い、先生が教えていたミュンヘン音楽大学に進むことにしました。

――ドイツでの学びはいかがでしたか?

 国家資格を取るためのマイスターソリストコースでしたので、生徒の中にはすでに演奏家として活動している一流の方も。ただ、正直ピアノよりまずドイツ語が大変でした。試験のときなど、どこに行けばいいのかさえわからない。

日本では受験生の待合室があり、順番が来ると呼びに来てくださるんですが、ドイツでは自分で舞台袖に行くのが当たり前。舞台袖にたどりつけずウロウロしていると、私がいないと大さわぎになって、先生が見つけに来てくださったこともありました。

――クラシック音楽の聖地ともいえるドイツは、学びの環境も、一般の人の芸術への関心も違うのでしょうね。

 皆さん、演奏をとても楽しそうに聴いてくださるんです。ドイツは親日国で、「日本からピアノを勉強しに来た」と聞くととてもうれしそうで、やさしくしてくださいました。ピアノのあるお宅ではよくホームコンサートが開かれ、私たち学生を呼んで、コンクール前の腕慣らしをさせてくださいました。

弾いたあとは皆でケーキとお茶でおしゃべり。そんなサロンコンサートが毎週のようにあるんです。
 “偉大な作曲家たちはこの風土で春夏秋冬を生き、音楽を作り上げたことを感じ取ることが何より大切”と、先生たちからは「練習ばかりしないでたくさん演奏会に行き、たくさん旅行しなさい」と言われ、その通りにしました。日本では数万円するオペラのチケットが、ドイツでは500円から聴くことができるんですよ!

――子どもがお小遣いで気軽にオペラを聴けるなんて、夢のようですね。

 なんと、子どもたちはオペラが歌えるんです! 音楽の土台が違うんですね。音楽が生活に根づいていて、日常に音楽があふれていました。

――ドイツで音楽観は変わりましたか?

 音楽が突出した芸術というのではなく、言葉遣いと一緒になっていることが初めてわかりました。それに、ベートーヴェンやシューマン、ブラームスなどドイツの作曲家が好きになりました。それまでは、ベートーヴェンなどは勉強のための曲という感じで苦手だったのですが、オーケストラを毎日聴きに行くうちに、こんなにも奥深く素晴らしい音楽だったのだと痛感しました。

――2年間の留学を経て2016年に日本に帰国後は、オーケストラとの共演やアンサンブルの舞台にも積極的に立たれています。

 はい。以前から演奏力をつけるためにもアンサンブルは必要だと言われていたのですが、技術を高めることを優先してしまってなかなか取り組めませんでした。ドイツではアンサンブルに参加する機会に恵まれ、実際に演奏してみるとその通りでした。人の音を聴きながら演奏することで、自分の演奏が確かに豊かになります。

――現在は後進に教えることも?

 演奏家を目指す学生さん、教育者を志す方、それから興味としてピアノを楽しむ方に、学校・自宅でレッスンをさせて頂いています。かつての自分と同じ志を持った子どもを応援する気持ちで教えていますが、技術はもちろんのこと、精神論も伝えています。コンクール前は緊張感がだんだん高まっていくのがよくわかるので、自分の経験を元に、ピアノとの向き合い方、本番に向かうまでのモチベーションの保ち方などを伝え、緊張しながらも自分の力を出すことの大切さを強調しています。私は人前で弾くのは好きなほうでしたけど、それでも毎回うまくいくわけではありません。場数を踏むしかないんですね。いろいろな場面での自分とのつき合い方を覚えると、気持ちのコントロールができてくるものです。

――演奏者としてのアドバイスは、生徒さんの励みになりますね。

 教育者というより、同じ演奏家として育ててくださる先生とたくさん出会えたことは私の宝です。こうしなさいと押しつけることはなく、「どう弾きますか?」と問いかけてくださる先生が多かったので、それを見習っています。

練習ばかりしないで、よい演奏を聴きに行ってというアドバイスも。聴くことは、「自分の演奏」に近づくことにつながります。

――自分らしい演奏ができることが大事なのですね。

 はい。そのためにいろいろなものを見て、体験してほしい。音楽は自己表現で、演奏には自分が出ますから、「私」というものと向き合うことが本当に大事です。生徒は自分の写し鏡。指導者としてはまだまだまだまだ修行中です。

芸術は人生を豊かにする大切なもの

――ピアノという楽器の魅力は? 五味田さんが演奏で一番大切にされていることは?

 ピアノは触れば音が鳴る楽器で、誰でも簡単に弾けます。それゆえに極めていくのは難しいのですが、作曲家のメッセージと自分のメッセージがちゃんと合わさったときに出る美しい音には、たまらない魅力があります。
 聴いてくださる方があっての音楽だと思うので、自己完結するのではなく、伝えたい音楽を届ける気持ちを大事に演奏しています。聴く方とコミュニケーションとる気持ちで、何か1つでも心に響くものが伝えられたらと思っています。

――今後の夢を聞かせてください。

 ソロとアンサンブル、両方の演奏力を磨いて、自分のピアノを高めていきたい。その体験を生徒に還元していきたいと思っています。また、1人でも多くの方に演奏を聴いていただく機会を作り、ピアノの魅力をたくさんの方に届けたい…。社会人になると音楽から遠ざかりがちですが、週末だけでも音楽を楽しめるような環境づくりに一役かえたらいいなと思っています。今は月1回、生徒と自分の演奏会を自宅や近所のホールで行っています。

ドイツで経験したように、7割ぐらいの力で臨み、間違ったらもう1回弾き始められるような、恥をかいてもよい機会が必要。弾く方も聴く方も楽しめる音楽の場を作っていきたいです。

――音楽のすそ野が広がるといいですね。

 芸術は人の生き死には直結しませんが、コロナ禍にあっても人は音楽を求め、生活に必要なものだと世界中の人が実感しました。緊急事態宣言明けの久しぶりのコンサートでは、お客さまがとても喜んでくださって本当にうれしかった…。音楽には豊かな心を育み、疲れや心の傷を癒す力があります。そんな音楽をこれからも提供していきたいです。
ピアニストになりたいと強く思い続けられたのは、5歳頃だったでしょうか?…音楽の力を身を持って感じた体験が大きかったかもしれません。大事な方を亡くされた方の前で何気なくピアノを演奏したら、ポロポロ涙を流して喜んでくださったんです。

――五味田さんの夢の原点ですね! 来年はコロナも落ち着き、ステージに立つ機会が増えそうです。コンサートのご予定はありますか?

 ベートーヴェン生誕250年記念イヤーの2020年に行うはずだったコンサートが、2022年1月にようやく実現します。「32のピアニストによる32のベートーヴェンピアノソナタ全曲演奏会」です。リレー形式で32人のピアニストが1~32番まで。何度か休憩をはさみますが14~21時頃までの長丁場です。

私は第21番「ワルトシュタイン」を演奏します。弾き手によって変わるベートーヴェンの世界を愉しんでいただけたらと思います。

五味田さんの日常のルール

・演奏前のコンディションづくりは?

 結構大雑把な方で、あまり気を使わないのがポリシーです。本番前のゲン担ぎもルーティンも今はしていません。その日の気分に寄りそって自然体で過ごします。

・ストレスをためないためにしていることは?

 自然が好きで、旅行が大好き。1日時間ができたら山や海、星を見に行くなど解放的になれる場所に足を延ばして英気を養います。好きな人とおしゃべりしたり食事したりして一緒に過ごす時間も大切にしています。ピアニストは自分の世界に閉じこもりがちなので、練習以外は人と過ごすように意識しています。
書道も好きで、小学校から高校まで習っていました。集中力に役立ちます。

・大事にしている言葉はありますか?

 “感謝”という言葉です。

~インタビューを終えて~

 終始絶えない笑顔が印象的な五味田さんは、ピアニストになる夢をかなえた芯の強さとやわらかさを兼備した魅力的な女性でした。現在は、入試やコンクールで審査をすることも多いという五味田さん。「その子の人生を決めてしまうこともあるのでとても緊張しますが、慣れてはいけない、この緊張感は忘れてはいけないと自覚しながら臨んでいます」と前向きです。五味田さん、これからも素敵な音楽を届けてくださいね。

・五味田恵理子 プロフィール

 東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校、東京藝術大学を経て、同大学院修士課程、ドイツ国立ミュンヘン音楽大学マイスターソリスト過程を修了。ドイツ国家演奏家資格取得。

 全日本学生音楽コンクール東京大会高校の部第2位。いしかわミュージックアカデミーにてグランプリIMA音楽賞を受賞し、翌年奨学生としてアメリカ・アスペン音楽祭に参加。日本モーツァルト音楽コンクール第2位。野島稔・よこすかピアノコンクール第3位。モーツァルト国際コンクールにてディプロム取得。
東京藝術大学同声会賞受賞。同声会新人演奏会(奏楽堂)、第80回読売新人演奏会(東京文化会館大ホール)に出演。

東京交響楽団、藝大フィルハーモニア管弦楽団他オーケストラと共演。
ドイツ、スペイン等国内外において、学校法人ドイツ音楽アカデミーやスタインウェイハウス主催コンサート等、数々の演奏会に抜擢され出演する。
また最近では東京フィルハーモニー交響楽団首席チェリスト金木博幸氏やNHK交響楽団メンバーとの共演をはじめ、数々の室内楽演奏会にも出演。
これまでに河野京子、野原みどり、深澤亮子、高良芳枝、植田克己、海老彰子、Michael Schäferの各氏に師事。
東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校、日本女子大学にて後進の指導にあたるほか、ショパン国際ピアノコンクール in ASIA、日本クラシック音楽コンクール他にて審査員を務める。
ショパン国際ピアノコンクール in ASIAにて指導者賞受賞。

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