みらい通信・輝く女性インタビュー Vol.2 松坂信子さん<腸もみさん>

 ここ数年、「複業」「パラレルキャリア」という働き方が徐々に浸透してきました。コロナ禍の影響もあって、これまでとは違う新しい価値観で働く方も増えてきたのではないでしょうか。
京都・祇園のホテル内のレストランで女将として働く傍ら「腸もみさん」を営んでいる松坂信子さんも、その新しい価値観でパワフルに、そしてしなやかに働く女性のひとり。とにかく笑顔がきらきらしていて、一緒にお話しするだけで元気になれる、そんな魅力的な女性です。

今回は、その松坂信子さんに「腸もみさん」との出会いや将来の夢についてお話を伺いました。

教員から女将業へ・・・全く別の世界で駆け抜けた20年

――― 元々は関東のご出身なのですね。まずはこれまでのお仕事について教えていただけますか。

 東京の大学を卒業後、茨城の実家に戻り、小学校と高校で家庭科の教員を務めていましたが、都内で飲食店を数店舗経営していた家に嫁ぎ、女将として働くことになりました。結婚して初めて飲食業の仕事をすることになったわけですが、義父母から厳しくも愛情ある教えを受け、一から客商売を仕込んでもらいました。全て、これが今の私のベースになっています。
実は実家からの反対を押し切って結婚したのもあり、いくら厳しくてもどんなに辛くても絶対に実家には帰らない、という気持ちでいたので、どんなことがあっても頑張っていこうという気持ちで続けてきました。
結婚して20年経った頃、その厳しかった義父が他界しました。後半は義父と二人三脚でやってきたのもあり、目標を失い、今後いったいどこに向いていけばいいのかわからなくなってしまいました。その他、当時は色んなことが重なり、結局離婚。それからは、離婚する少し前に自分で開業したバーを経営しつつ、知人の紹介で、銀座の鮨店で女将を始めました。
やがて体調を崩し、たった3カ月で生理は止まり体がボロボロに…その鮨店がランチ営業をするタイミングで早番のシフトに変更してもらいましたが、体が思うように動かなくなってしまいました。結局バーは知人に譲渡することになり、鮨店だけで働くこととなりました。掛け持ちしていたのは、1年と少しの期間でした。

次男の京都進学がきっかけで生まれた新しい縁

――― 大変でしたね・・・そんな中、京都でのお仕事はどのようなことがきっかけだったのでしょうか。

 窮屈な“銀座村”で長く働き、心身ともに疲れていて、東京から離れたいと思っていた時、転機が訪れました。
次男が京都の大学に進学したことをきっかけに、時々京都には足を運んでいたのですが、そんな時、西麻布に店を持つ日本料理店が京都・祇園に進出し、新しくオープンするホテルに入るということで、その店での女将の話を友人にご紹介いただいたのです。
京都で生きていくのは大変だよ、とは聞いていましたが、この機会を逃したら京都に行けるチャンスは一生ない!と思い、お話をお受けすることにいたしました。引っ越したのは2019年の5月末、ちょうど50歳の頃です。

――― 思い切った決断でしたね。

 でも、年が明けてまもなく、コロナ禍が始まってしまいました。
京都はインバウンドと観光で支えられています。それなのに、京都の街を歩く人がいない。八坂神社の南門が閉まるという前代未聞のことが起きてしまいました。
また、飲食店はお客様とのコミュニケーションがとても大切です。それなのにマスクで顔も見えない、パーテーションで仕切らなくてはならない。これまでお客様の表情を見て、お客様と会話して、意を察しながら仕事をしてきたのにそれができなくなってしまって、「私はいったい何をやっているのだろう」と思いました。「このままでは、飲食業界に未来が見えない」とまで思いました。

「腸もみさん」との運命の出会い

――― 一大決心して京都に来たらコロナ禍・・・精神的にもつらかったと思います。

 9月の終わりくらいから「Go To キャンペーン」が始まって急に忙しくなったものの、コロナ禍の経営難で人員を削減してしまったこともあり、採用活動も間に合わず人手不足の中仕事をしていたら、体調を崩してしまいました。
そんな時、お店のお客様からの紹介で、大阪で腸もみサロンを営むちあきさんと知り合いました。
その頃、便秘と下痢を繰り返して苦しんでいたので「腸もみ」という言葉はなんとなく知っていましたが、具体的には知りませんでした。
でもちあきさんにお会いした時、そのお人柄にとても惹かれてしまったのです。とても人気のためご新規のお客様は取っていらっしゃらないと伺っていたにも関わらず「この人から腸もみを受けたい!」と思い、頼み込んで、ごり押しで(笑)受けさせていただくこととなりました。

――― まさに運命の出会いですね。初めての腸もみはいかがでしたか。

 ちあきさんの施術を初めて受けた日の翌日、私は熱を出して下痢になっていまいました。時期が時期だったのでコロナだったらどうしよう!と思ったのですが、コロナには感染しておらず、インフルエンザでもなく。こんなに腸の中にたまったものが出るとは!と本当に衝撃を受け、腸もみの効果を知りました。最初に施術を受けてから次の予約まで2カ月あったのですが、その2カ月の間に、自分で腸もみをやる!と決め、ちあきさんに弟子入りしました。これが2021年の春です。

「腸もみさん」への道

――― 「腸もみさん」になるには、どのようなプロセスを踏むのでしょうか。
 弟子入りしてからは、週に1回2時間弱かけて京都から東大阪に通いました。4カ月ほどちあきさんの元で修業し、夏になる前に資格を取得しました。
「腸もみさん」の資格は、いわゆるディプロマのようなものはありません。ちあきさんのところでしっかり修業し、お認めいただいたときに「腸もみさん」を名乗ることができます。最初にちあきさんオリジナルのテキストを使って座学が2回ほどあり、その後手技に入ります。手技は、ちあきさんが実験台となって、弟子である私がお腹を触ります。さらに、集客方法も教えていただきます。
ちあきさんから習ったのは、腸もみは「型」がないということ。人は全く同じではない。1人1人、体つき、筋肉の付き方、可動も違う。私がちあきさんと全く同じことをしようと思ってもできないんです。基本の手技はありますが、そのひとの体つきだったり、力の加減であったり、指の動きであったり。その人にあった腸もみを教えてくださいます。以前、お弟子さんが集う合宿があったのですが、そこでも1人1人やり方が違っているのを知ることができました。そういう場で、他の方の手技や集客方法などを共有できるのもとても勉強になっています。
集客については、ブログを毎日更新することを勧められました。最初は結構難しかったのですが、今では毎日書くことが普通になってしまい、おかげさまで多くの方に読んでいただけるようになりました。
京都の腸もみさん のぶこ女将

腸もみは「心と体のデトックス」

――― ズバリ「腸もみ」とは? 信子さんご自身の言葉で教えてください。

 腸もみは、一言で言うと「心と体のデトックス」ですね。
腸は心とつながっているので、悩みとか、精神的なことも腸に影響します。ただ腸をもむだけではなく、その人の日常生活の話を丁寧にお聞きし、その背景を推察します。心を開いていただけると、自然にリラックスして腸もみに入れます。
腸を整えることで心も整います。実際に手技に入る前のカウンセリングで話を伺うところから腸もみは始まっています。お話を30分くらい聞くだけで顔つきが変わるお客様もいらっしゃいます。そして実際に腸をもむと顔色も顔つきも変わって帰られるのです。
腸もみを受けに来られたお客様から「便秘が改善した」と言われることはもちろんとても嬉しいのですが、「気持ちがすっきりした」と言われるのも嬉しいですね。私に会ったことで元気になれたと言われるのも嬉しいです。「ごめんなさい、初めて会うのに私、こんなに話過ぎちゃって」なんて言われることもありますが、そうして、人として必要とされているのであれば、私は十分幸せかな、と思っています。

――― なるほど。よく「腸は第二の脳」とも言われますが、こうしてお客様からの反応を聞くと、本当にそのとおりだなと思います。

 お腹の不調って、普段から普通にあり過ぎて気に留めなくなりがちなんです。
でも、腸には感情が溜まるとも言われていて、そういえば・・・

「腹を割る」
「腹に落とす」
「腹を据える」
「腹ワタが煮えくりかえる」
「腹黒い」

このように、日本語には「腹」を感情の表現方法として使うものが沢山あります。
だからこそ、「腹(腸)」を大切にしなければならない。
腸のご機嫌をよくすることは、心のご機嫌をよくすること。
腸に向き合うことは、自分の感情に向き合うこと。
「デトックス」はそれに近いですね。
腸もみで、腸の大切さを伝えていきたい心意です。

女性が「ホッ」とできる“場”を作りたい

――― 信子さんにとって「腸もみ」が天職になりましたね。最後に、将来の夢を教えていただけますか。

 ゆくゆくは、腸もみサロンと併設で腸活カフェや健康に関するワークショップなども開いてみたいですね。
腸活には朝食が必要だと考えています。京都は朝食のお店が多いのですが、朝ご飯をしっかり食べることによって腸を動かし、排便を促す。これを伝えていきたいのです。
朝ご飯が食べられる、ホッと出来る“場”、働く女性や子育て中の女性をサポートできるようなお惣菜を提供したり、ご年配の方にも利用いただけるような“場”を作れたらいいなと、今考えているところです。自分が働きながら子育てをしてきて大変苦労した経験から、いつか自分がサポートする側になろうとずっと考えていたのです。
私は「拠点」という概念がありません。京都でもいいし、東京でもいい。また、実家の茨城でもいい。いくつか“場”をつくって、腸もみを女性の皆さんに広めて行くことができればと思っています。

女性が元気だと、世の中も明るくなれますから。

★京都の腸もみさん のぶこ女将の腸もみに関するお問い合わせ&申し込みはこちらから

https://ssl.form-mailer.jp/fms/ff8e98d3713548

文/鈴木亜希子

松坂信子さん
1968年茨城県生まれ 東京家政大学卒業。
大学卒業後、5年間家庭科の教員として教鞭をとる。結婚を機に料理屋の女将として26年従事。現在、京都にて女将業の傍ら腸もみサロンを経営、料理教室などを主催。
ブログ「京都の腸もみさん のぶこ女将」

https://ameblo.jp/0314nobuko0314nobuko/

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