母を亡くして思いがけずロスモードに。友人とのおしゃべりが支え
母に介護が必要となりました。実家までは新幹線で3時間ほど。介護を担ってくれている姉を少しでも助けたいと思ってまめに帰省し、お風呂掃除、トイレ掃除、庭の片づけなど、できることをしてきました。1年ほど続けた頃、体調を崩して母は亡くなりました。
わがままになってきてときどきぶつかることもあったけれど、居なくなってしまうと、自分でも驚くほどロスモードになってしまい驚いています。ぶつかりあうのも、ムッとするのも母という存在があったからこそ。存在がなくなると、その感情も生まれないというさみしさに、寒々としたものを感じています。小生独身の50代男。家族がいないせいもあるでしょうかね。遺産相続では介護をしていなかった兄が出てきてもめています。御多分に漏れずというところでしょうか。無常です。支えは友人との電話。毎回1時間以上、こっちの一方的な話を聞いてくれる幼なじみの女友達に感謝です。(しかいさん)
詩を声に出して読む
谷川俊太郎さんの詩が好きで、よく読んでいます。「生きているということ」のようなさわやかで深い詩も好きですが、ことばあそびうたも大好き。「かっぱ」は、「かっぱかっぱらった かっぱらっぱかっぱらった とってちってた…」と意味はないのですが、声に出して読むと音楽のようでリズムが心を動かします。まどみちおさんの詩も好きです。
「ぼくが ここに」は、自分がここにいるときは、ほかのどんなものも自分のいる場所にいることはできない。ゾウも、マメの一粒も同じ。どんなものがどんなところにいるときも、こんなに大事に守られている、という内容。「ぞうさん」もそうですが、自分は今ここにいてもいいよと言ってもらっている気がして、まどさんの詩を読むと温かい気持ちになります。(万里さん)
「じぶん学校」と呼んでいるスクラップブック
7~8年前から新聞はデジタル版にしました。といってもデジタル版を紙面ビューアーで読んでいるのですけどね(汗)。デジタル版にしたのはスクラップ機能が気に入っているからです。気になる記事はスクラップブックにためておきます。時間がなくてじっくり読めないときにもひとまずスクラップブックへ。
2か月ごとぐらいにスクラップブックを見直し、プリントアウトして、スクラップブックに貼ります。そして、もう1回読んで、感想などを書き添えます。このスクラップブックは昔ながらの紙のスクラップブックです。デジタル版をわざわざプリントアウトして紙のスクラップブックにノリで貼るなんて、本末転倒という感じがしますが、あとからスクラップブックを見てみると、自分が何に興味を持っているのかわかり、興味を持ったことの答えが書いてある1冊の本になっていて、私はこのスクラップブックを「じぶん学校」と呼んで愛蔵しています。(kouhito1955さん)
コメント